当たり前の中にある「私の色」
今日は、私のルーツの話。
ふと久しぶりに本屋さんに行きたくなって雑誌を眺めていた。毎月素敵だなぁと感じるあつらえの、見慣れない、だけど、最近よく目に入る雑誌。
写真の撮り方からレイアウトまでとても素敵でうっとり眺めていた。
今月の特集は日本のお祭りに関しての内容。読んでいくうちに、実は私は日本人だったと言うことに気がつく。
「当たり前すぎる」
実はこの雑誌読むうちに、パリにいる友達にプレゼントしたいなぁと途中から思うようになった。そして読み進めていくうちに、母方の祖父母が呉服屋だったことを思い出した。
_____20年前。時代の流れで、今は少し日本のブームが来ているけど、着物の需要はなくなり、祖父母は店をたたむことになった。戦争孤児の祖父が一代で築いた、そして母の両親である2人の想いが詰まったお店。悲しかったけど、もうこれは仕方ないと。どこか諦めのような気持ちで、無力な10代の私は思っていた。
______そんな経験をした私が、思いもよらず、世界に出ることになり、
2026年7月31日、思い出したこと。
「私は日本人。」
亡くなった祖父母の顔が頭をよぎり、
着物を着て、私の色の1つである日本人であることも、アイデンティティの1つとしてもう少し大切にしたほうが良い気がした。
日本にいる時はともかく、世界に出る時は、何か私の色として、ジャパンを身にまとうことも
祖父母がプレゼントしてくれている思いのように感じた。
遡ること2024年5月_____
ドバイにアートを出展した時、着物の羽織を着て現地へ出向いた。
だけど、その時の私はまだ自分の色がわかっておらず、なんとなくその衣装に違和感を感じていた。
日本人だから、ただ着物を着る。
その浅い考えもそうだし、私の本質としてしっかりと自分に腑に落ちた衣装と腑に落ちた佇まいで存在したいと言う思いが静かに宿っていたからだと思う。
そこから2年
いろんな国を訪れ、パリ〜ロンドンから帰ってきた。海外の滞在にも少し安心感を見出せるようになった。
そんな今、なんとなく私の個としての色が少し見えてきた。
私は海外にあるものを日本に持って帰ってくる役目だと思っていた。
だけど、
自分のルーツとして祖父母の生きてきたこと、着物の美しさを届けることも、今の私には納得が行く気がする。
_____世界中の美しいを拡げ、
自分の色の美しさを表現する。_____
地球に生まれてきたこと、
今、身体を持っていること、
そのものに喜びを見出せるような私であるために、
それをもう少し深掘っていきたい
新しい扉が少し開いた。
_____
TOPの写真 両親と祖父母と左のピンクが私。
右はいとこ。です!
今日の覚書。いつもありがとうございます。



